2016.07.27 Wednesday/ |
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1994年に自殺したニルヴァーナのボーカリスト、カート・コバーンの妻であり、ロックバンド、ホールのボーカルを務めるコートニー・ラブが、カート・コバーンの伝記映画を計画しているという。
コートニーは、夫カートの人生をミュージカル化、もしくは映画化した作品を計画しており、現在その可能性をさまざまな方面から模索しているらしい。以前ブリトニー・スピアーズのマネージャーを担当し、ブリトニーの家族をロサンゼルスの法廷にて名誉毀損と契約不履行で起訴中のサム・ラフティは現在、コートニーの自称共同マネージャーを称していて、次のように語っている。 「(コートニー・ラブと私は)現在ニルヴァーナの活躍や、コートニーとカート・コバーンの人生を基にした映画作品もしくはブロードウェイ・ミュージカル作品の可能性について模索中です。コートニーは女優としても成功していますから」 さらに、コートニーと親しいある関係者も「コートニーは昔からカートと自分の人生について映画か舞台の製作を話していました。コートニーの視点からストーリーを語ることは彼女の夢でもあったのです」とニューヨーク・デイリー・ニュース紙に明かしている。しかし同関係者によると、「現時点でコートニーのアイデアは何も実現しておらず、そもそもまだ本腰を入れて取りかかってすらいない」という全く逆の証言もある。 1996年公開の『ラリー・フリント』や1999年の『200本のたばこ』、2010年の『ストレート・トゥ・ヘル・リターンズ』など女優としてのキャリアも築いてきたコートニー。これまでカートの死後には、 あるロックミュージシャンの死の直前の2日間を描いたガス・ヴァン・サント監督作品『ラストデイズ』などカートを題材にした多くの映画が製作されているほか、ニック・ブルームフィールドはドキュメンタリー作品『カート&コートニー』でカートは実際には殺されたのではないかという仮説に基づき、カートの死の真相に迫った作品なども製作している。
伝説のロックバンド、レッド・ツェッペリンが2007年12月、ロンドンのO2アリーナで行った1日限りの復活公演『祭典の日(奇跡のライヴ)』がDVD、ブルーレイ化され11月21日に発売される。
待ちきれないファンに向け映画館の大スクリーン、大音響で楽しむ有料のプレミア上映が世界40カ国同時に1500館で2日間だけ上映され、さらに延長して1週間限定公開された。 どこまでも出し惜しみするバンドである。 ガマンできずに、TOHOシネマズ渋谷で特別料金2000円を払って観た。陶酔した。 ロックファンの語り草であるセミドキュメンタリー映画「狂熱のライヴ」(1976年)とは比べものにならない映像・音響技術の向上で、5年前のアリーナを自分も観客のひとりとして観ている気分になった。 「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」で幕開け。「天国への階段」「永遠の詩」「胸いっぱいの愛を」そして、アンコールの「ロックン・ロール」まで代表曲16曲が一気に駆け抜けて行く。 ジミー・ペイジのとんでもなくアイデア豊富なギターワークにしびれ、ロバート・プラントの時に哀愁を帯びかつ、滋味深くなった声に酔う。 ジョン・ポール・ジョーンズのベースとキーボードは職人芸だ。それに、ジェイソン・ボーナムは亡き親父ゆずりの手数が多いドラムスで食らいつく。4人の完成度は「なつかしのロック」ではなく不朽・普遍の音楽であった。 ふと思い出したのが、先日、東京都現代美術館で開催された「館長庵野秀明特撮博物館ミニチュアで見る昭和平成の技」展。どんなにCGや3Dを駆使しても伝わらない手作りSFの迫力とリアリティーに感動した。それは、デジタル世代以前のツェッペリンが、限られた電気楽器で見せてくれた広大な世界にも通じると思った。 席を立つとき、後ろの席にいた30代前半とおぼしき女性2人が「感動した!」「立って見たかった」と興奮気味だった。気持ちはよく分かる。
11〜12月にロンドンとニューヨークで50周年記念コンサートを開くザ・ローリング・ストーンズが、70曲ものトラックをリハーサルしているという。これまでのキャリアを総括するライヴだけに意気込みが違う。
◆ザ・ローリング・ストーンズ画像 キース・リチャーズはロイター通信にこう話した。「リハーサルはすごく上手くいっている。70曲くらいやってるよ。“30曲しか必要ないじゃないか、70曲やることない”って言ったんだが、俺たち、70曲やってるんだ。(本番で)全部やるかはわからないいけどね」 ザ・ローリング・ストーンズの50周年記念コンサート<50&COUNTING...THE ROLLING STONES LIVE>は、ロンドンO2アリーナで11月25日、29日、ニューヨーク・プルーデンシャル・センターで12月13日、15日に開かれる。ご想像通り、チケットの争奪戦が繰り広げられており、金曜日(10月19日)に売り出されたロンドン公演のチケットは7分でソールド・アウト。ネットでは406ポンド(約5万2,000円)のチケットが1万5,400ポンド(約195万円)で転売されている。
「エマニエル夫人」(1974)で世界的スターとなった、オランダの女優シルビア・クリステルさんが、がんのため死去したとAFPが伝えた。今年6月に、咽頭がんの治療を受けた3週間後に脳卒中で倒れ、アムステルダムの病院に緊急搬送されていた。60歳だった。
エマニュエル・アルサンの小説「エマニュエル夫人」を映画化した「エマニエル夫人」で、自由奔放な性生活に目覚める主人公の若妻を演じ国際的スターとなった。ピエール・バシュレが歌ったテーマ曲とともに日本でも人気を博した。 その後シリーズ化された「続 エマニエル夫人」(75)、「さよなら エマニエル夫人」(77)にも主演した。 R.I.P.
クイーン
QUEEN 1971年、フレディ・マーキュリー(vo)、ブライアン・メイ(g)、ジョン・ディーコン(b)、ロジャー・テイラー(ds)の4人で結成。73年のデビュー当時は本国英国よりも先に日本で人気を獲得したが、75年の「ボヘミアン・ラプソディ」と『オペラ座の夜』のヒットで英国での評価を不動のものにした。枠にとらわれない豊かな音楽性を持つ作品を発表し、世界的なバンドへ成長するも、91年11月にフレディがエイズのため逝去し活動を停止。その後、2004年12月にポール・ロジャースをヴォーカルに迎え活動を再開すると発表、05年には世界ツアーを行なった。
レインボー
RAINBOW 1975年、リッチー・ブラックモア(g)がディープ・パープル脱退後に結成し、同年デビュー。コージー・パウエル(ds)を加え、76年に『虹を翔る覇者』、78年に『バビロンの城門(アーチ)』などハード・ロックの名作を発表。78年にロニー・ジェイムス・ディオ(vo)が抜け、グラハム・ボネット(vo)に交替。81年にはジョー・リン・ターナー(vo)が参加し、「アイ・サレンダー」などのヒットを放つ。84年に解散、95年に再結成アルバムを発表している。
1974年に米国ニューヨークで結成され、76年に『ラモーンズの激情』でデビューした4人組。
3分に満たない短い時間のなかにロックンロールの衝動と醍醐味を詰め込んだ、シンプルでスピート感あふれるサウンドはその後のパンクに大きな影響を与えた。89年のベーシスト交替以外に大きな危機も迎えず、同時期に登場したバンドが80〜90年代につぎつぎと消えていくなかにあっても頑なにロックンロールを続けるが、97年に活動の幕を閉じた。
交通事故などの外傷による脳挫傷やびまん性軸索損傷により、また脳出血などの脳の疾病によって高次脳機能障害は発現します。
受傷機転、または発病の前後で下記のような症状が見られる場合、高次脳機能障害の可能性があります。 ■記憶力が低下した ■怒りっぽくなった、 ■複数の動作を同時にすることができない、物事を順序だてて取り組むことが困難 ■幼稚な言動、行動がみられる ■感情が鈍麻している ■本人は自分が変わったこと、できなくなったことなどに気づかない 上記の症状の一部でも該当する場合は高次脳機能障害の可能性があります。 ・高次脳機能障害の特徴的な症状 高次脳機能障害の特徴的な症状は、「記憶力の低下」「些細なことで切れやすくなった」「意欲の低下」「幼稚な行動」「感情鈍磨」などです。物忘れや記憶障 がい、感情を抑制する障がいなどが現れます。麻痺などの身体的な症状が見られない場合も多いですので、医療機関においても見過ごされている場合もありま す。 ☆びまん性軸索損傷の基礎知識☆ 交通事故では頭部への衝撃により、びまん性軸索損傷(DAI)と呼ばれる脳の損傷を受けて、重い高次脳機能障害が残ってしまうことがあります。 ここでは、びまん性軸索損傷(DAI)の概要について記載しています。 1.びまん性軸索損傷(DAI)とは 脳外傷は、局所性脳損傷とびまん性脳損傷に大きく分けられます。 局所性脳損傷は、外傷の直線的な衝撃が脳の限られた部位に集中することにより生じる損傷です(脳挫傷、頭蓋内血腫など)。 これに対して、びまん性脳損傷は、回転加速度を生じるような衝撃(剪断力)による損傷で、脳全体に脳実質損傷が生じます。 びまん性軸索損傷は、びまん性脳損傷のひとつで(脳震盪もびまん性脳損傷のひとつとされています)、脳に広範な剪断力が加わることによって、軸索(指令を出すための長く伸びた繊維)に断裂が生じることをいいます。 2.びまん性軸索損傷(DAI)の症状 受傷直後から高度の意識障害が生じます。 退院後の症状として、記憶障害、集中力や判断力の低下といった認知障害と攻撃的になったり、感情が変わりやすいといった人格変化が現れることが特徴です。 読んでくれてありがとうございます。
ロッド・スチュワート
ROD STEWART 1945年1月10日英国ロンドン生まれ。64年のフーチー・クーチー・メンを皮切りに、スティーム・パケットなどいくつかのグループを経て、66年にジェフ・ベック・グループへ加入。 ベックのギターに拮抗する強烈な歌唱で脚光を集め、69年にはスモール・フェイセス改めフェイセズに加入。同時にソロ活動も始め、両方で数々の名唱を残す。75年のフェイセズ解散後は「セイリング」などのヒット曲を放ち、ロック界最高のシンガーの一人として活躍している。
ザ・ローリング・ストーンズ
ROLLING STONES 1962年に英国ロンドンで結成。ミック・ジャガー(vo)、キース・リチャーズ(g)、ブライアン・ジョーンズ(g)、チャーリー・ワッツ(ds)、ビル・ワイマン(b)の布陣で63年にデビュー。ブルースに根ざしたロックンロールを展開し一躍人気を獲得。69年にブライアンが脱退、急死という非常事態を迎えるが、ブルースブレイカーズにいたミック・テイラー(g)を加えて乗り切る。74年にテイラーが脱退、元フェイセズのロン・ウッド(g)が参加。93年にワイマンが脱退するが、その後も世界最高のロック・バンドとして君臨する。
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